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週刊感想(一話ずつ)

【チェンソーマン】第127話「セーブザアサ」感想考察!楽しみにしていること

落下の悪魔との戦いに敗れたチェンソーマン。

落下の悪魔がアサのところに戻ってきたところから第127話は始まります。

それではさっそく感想にいきましょう!

落下の悪魔の誘導

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

落下の悪魔はあくまでもアサに自分から地獄へ落ちてほしいと考えているようです。

実際に前回の第126話でデンジに「三鷹アサを地獄へ落とすだけ」と宣言しています。

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

これは現世で調理された公安職員とは違って、生きた状態で三鷹アサを地獄へ連れて帰る目的があると考えることができます。

現時点で根源的恐怖の悪魔である落下の悪魔を倒す手段がありませんので、もしかすると今回の戦闘で三鷹アサは地獄へ連れ去られてしまい、デンジがアサを助けに地獄へ行く展開になるかもしれませんね。

アサの最後の後悔

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

落下の悪魔によると、アサは生きることへの執念がほとんど残っていないようです。

酷いことばかり起こる自分の人生に嫌気がさしていて、でも自分の力ではどうしようもなくて無力感に苛まれているように、読んでていて感じました。

アサは最後に「一人でいいから心の底から誰かと⋯」と思います。

このあとに続く言葉は現段階では断定はできないのですが、少し考えてみましょう。

アサの後悔とは?

まずこの「誰かと⋯」に続く言葉はポジティブなものが当てはまります。

そして後悔の内容は「一人でいいから誰かと」と続いていますので一人ではできないことになります。

そしてそれはアサがまだ人生で達成することができていないことになります。

例えば誰かがいることでできるポジティブなことは「笑い合う」などが当てはまりますが、アサはデンジと笑い合うことができています。

なので、もう少しハードルの高いものであろうと考えることができます。

個人的には「愛し合うこと」だと思います。

「信じあうこと」も当てはまりそうだったのですが、それは母親との間で形成されていると考えることができます。

親子としてではなく、誰か他人とそういった心の底から安心できる関係、その経験をしたかったのではないかな、と思いました。

おそらくここに続く言葉は第二部の後半で回収されそうな気がするので、それまではアサの心の機微に寄り添って、経過を見守っていきたいと思います。

手を繋ぐ

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

アサが手を離し、空中に落下していく中でギリギリチェンソーマンが間に合いアサの手を掴みました。

ここさりげなくアサが怪我しないようにチェンソーの刃を腕から外しているところがデンジくんの優しさがよく分かりますね。

第一部のレゼのときもそうでしたが、デンジくんはこういうときちゃんとチェンソーの刃を外してくれるんですよね。相手が怪我しないように。

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

猫!猫!アイス!

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

ここデンジくんが唐突に「アイス!」って言ってますね。第一部でデンジくんは、アキくんが亡くなったあと一人でアイスを食べていました。

このときアイスはなんとなくコンビニで美味しそうだったから買ったのかな、程度に捉えていたのですが

もしかしてデンジくん、アイス食べたら楽しい気持ちになったりするから、元気だそうとしてアイスを選んで食べて、でも吐いちゃったという意味が追加されるんですよね⋯。

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

ただでさえ辛いシーンなのに、デンジくんの健気さも相まってより深いシーンに上書きされました。

わかるよ

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

ここのデンジくんのセリフ。誰かの言葉ではなく自分の言葉でアサと話そうとしてくれてるのめちゃくちゃ優しくないですか⋯?

「悪い事ばっかじゃねぇってわかってるけど」ってセリフもちゃんと現実をちゃんと生きていて、その姿に心を打たれます。

「悪いことばかりの人生」って言い切るのは実は簡単で、そう言い切れば誰かが慰めてくれるから。

でも「良いこともある」って言うのは実はめちゃくちゃ勇気が必要で、だってそんなこというと「自分が弱いだけ」の人間になってしまうじゃないてすか。

その自分の弱さと向き合っている人間じゃないと絶対言えないセリフなんですよね

「最悪が糞のハンバーガーみてえに積み重なっていく」って表現もデンジだけのセリフで良いですね

乗り越えてねーよ

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

有名な話なのでご存知の方も多いかと思いますが、人間は最高に幸福なことも最悪でトラウマになる出来事も、2〜3年したらその熱さを忘れてしまうそうです。

でも管理人個人としては、その熱さは忘れたとしても幸せだった日々はずっと「幸せだった日々」のまま忘れないし、最悪な出来事でついた傷跡も消えないと思っています。

なので「あのとき自分がこうしていれば」という罪悪感や後悔はずっと残るし、でも残るからってそれを乗り越えないと生きてはいけないというわけではないと思うんです。

乗り越えられていない日々の中でも笑っていいし、幸せの中で怪我をしても泣いてもいいと思います。それは嘘ではないから。

乗り越えられないまま、それでも日々を生きていく姿は本当に美しいと思います。

デンジが楽しみにしていること

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

デンジは乗り越えられないけど、その楽しみにしていることがあるから生きてる、とアサに伝えます。

(引用:チェンソーマン/藤本タツキ)

これはきっと、欲求の解消や興味本位だけではなく、パワーやマキマさんが教えてくれた「相手のことを知れば知るほど気持ちよくなる」ことが根底にあって、そこには大切な人と「愛し愛されること」の経験も全部まとめてだと思います。

書いていて気づきましたが、先述したアサの「最後の後悔」とデンジの「楽しみにしていること」ってもしかして根底では同じ「愛し愛されること」なんじゃないですか⋯?

なんかそうだったら嬉しいなって思いました。

まとめ

管理人は普段から「どうして分かるの?」ってセリフが出てくる漫画が大好きと公言しているのですが、チェンソーマンでもこのやりとりが出てきたのでずっと感情が爆発していました。

「どうしてわかるの?」超いいですよね⋯。

やはり共感は救済の一つで、心のドアが少しだけ開く重要なシーンになりますので名シーンが多いです。

あと自分も会社で「糞みたいな仕事がハンバーガーみてぇに積み重なってる」って使っていきたいと思いました。

読んでくださってありがとうございました!

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